昨日、いまだ続行中である天野っち部屋の構造改革の最中、懐かしいモノが出てきました。
部屋のお片づけって、何かしら懐かしいモノがちょこちょこ出てくるもんだからナカナカ進みませんぞぉ~
そいで今回、ボクの思い出の扉を開けた鍵は、スティックなのであります。
今は、もう折れて使い物にならず、ただの木の切れ端になってしまっています。
それでも、取っておくのは、やっぱ自分の中で大切な思い出キーアイテムだからなの。
…まあ、ぶっちゃけ、そんな大したもんでもないスけど
ドラマーになって、初めてライブにでた時のスティックなんだわさ。
中二の学園祭だったかなぁ~
その頃、ボクは寮生活時代で、外国の日本人学校に通っていた。
人数が少ないもんだから、行事は中学一年生から高校二年生、在校生全員合同なのである。
つまり、高校生に混じって演奏したわけであるのよ~
中坊から見た、高校生はオッカナイの何者でもありませんの。
寮自体も一緒で、寮はめちゃ体育会系だし、何かやらかすと空気イスとか、腕立て伏せとか、バットでケツを叩かれたり、バケツに水入れてずっと持ってたり、五時間正座なんて普通だし、罰ゲームで在校生(男子寮内のみ)の前で踊らされたり…
今考えると、漫画のように激しい体育会系な生活を送っていました。
ちょい脱線しました。
そんな、高校生に混じって演奏をしてたわけですが。
その頃のボクは、今のようにハードロック好きでもなく、メタル青年でもなく。
系列的に、奥田民生系とか、ウルフルズ大好きっ子でした。
当時は、ウルフルズのドラマーであるサンコンJrを敬愛して止まず(もちろん今も好きよ)、ファンキー中坊で。
むしろ、この頃にJAZZ研に入った方が肌にあったのでわ?と思ったり思わなかったり
『JAZZ研の皆愛してるぜっ!!』とワザとらしく自分にフォローを入れてみたり![]()
初めてのライブもモチロン、ウルフルズを演奏しました。
曲名は『レッゴーマンデー』、『ハートに突き刺され』
何故に、こんなマイナーな曲をやったのやら…
知らんよね 皆さん??
結果は惨敗… 音楽に勝ち負けなんてないっすケド。 本当、ヘタレな演奏でした。負け組でした。
案の定、演奏後、学校のドラマーのボス的存在(高一)に呼び出され、ダメだし…
『人前でやるんだから、もっと練習しなきゃダメじゃん。 やる気あんの? 辞めちまえ!』と、こんな感じ。
後で、トイレで泣きました。
でも、すっかり体育会系の色に染まっていたボクもスポ魂的に引き下がりません。
リベンジを誓って猛練習を決意!!
ライブごとに、ボスにアピール!!
そして、あるライブの日、ボスから、『天野。お前、ドラムのセッティングしな。』
…説明せねばなるまい。
そこの軽音部のドラマー界の中で、ドラムのセッティングを任されると言う事は、認められたという事であり、ドラマーズ社交界に入る事を許された、いわば一つの儀式だったのである。
ボクは狂喜乱舞、バンドメンバーから、『アマヌ、やったな!! 報われたぞ!』と祝福を受ける。
そんな、スッタモンダな、今思えば馬鹿らしく、子供ならではの熱血があったわけなのです。
その後、中学生時代は、ずっとウルフルズをやり続けたわけです。
まあ、たまにグレイとかラルクとか、B’zとかもやりましたが(笑)
何か片付ける度に、こんなしょうも無い事思い出すもんだから、はかどらないったらありゃしないわさ![]()
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■たぶん
10年後何してるかわからないけど、
きっと今の事を思い出すんだろうね。
良い思い出を重ねたいものです。
■大地へ
なんか、おっさんになって深みのある老け方をしたいです。一つ一つのしわに意味があるみたいな